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貪りと怒りと愚痴

煩悩には貪りと怒りと愚痴があるといわれています。

貪りとは、得たものを味わい熟慮する間もなく、次のものを欲しがる、余裕のなさから沸き起こるそうです。

怒りとは、相手の態度や背景を見ようとせず、瞬間的に言い返すことから沸き起こるそうです。

愚痴は、反省もせずひたすら境遇を嘆き、現実を見ようとしないときに沸き起こるそうです。いずれも、一息入れて熟慮すれば大方は解決することばかりです。

誤った考えを助けるのも無知で、軽率な判断と辛抱できない弱いこころが煩悩の種を作り続けると言われています。

なんでもよく味わい、表面に表れない深い意味を考えることが必要なようです。

 

頭陀(ずた)という言葉があります。頭陀とは生きていくために必要な最小限度の生活を送る修行で、その一つ、阿蘭若住(あらんにゃじゅう)とは人里離れて一人で暮らすことをいうそうです。そこまでしなくても、時には一人自ら省みることが必要に感じます。ちなみに頭陀袋とは最小限の必需品を運ぶための袋を指すそうです。

 

ツルゲーネフの名言です。疲れた人は、しばし路傍の草に腰を下ろして、道行く人を眺めるがよい。人は決してそう遠くへは行くまい。人生を山歩きに例えれば、会話ができて花の美しさがわかるくらいがよいようです。

 

カフカが文豪と言われたのは死後のことで、長編小説はすべて未完成、結婚も臨んだけどできなかったそうです。「絶望の岸辺にはほんの少し、体を横たえる場所がある。暴力や中傷に耐えかねて、生きるのも嫌と思った時は、どうかそこに倒れてくれないか。前を向けないと自分を責めてはいけない。後ろを向けば、君が死んだら悲しむ家族や友達の顔が見えてくるはずだから。」読売新聞、編集手帳からの引用です。

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